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<  2009年 12月   >
  • ポ祭だよ!!!!
    [ 2009-12-29 07:34 ]
  • 2010年、1月
    [ 2009-12-23 14:41 ]
  • アラザルvol.3、一般販売開始
    [ 2009-12-22 14:23 ]
  • 近況
    [ 2009-12-16 15:09 ]
  • アラザル3だよ!!!《続報》
    [ 2009-12-01 02:05 ]
  • アラザル3だよ!!!
    [ 2009-12-01 02:03 ]
ポ祭だよ!!!!
ポ祭です。

アラザルはラウンジフロアーでいろいろやります。

以下、HEADZさんのインフォです。


エクス・ポナイト VOL.5
【ポ祭2009!!!テン年代まであと2日!?】
2009年12月30日(水)
会場:渋谷 O-nest(Tel: 03-3462-4420 http://www.shibuya-o.com/)
時間:open 16:00/ start 17:00〜
料金:¥ 3,000(drink別)
●LIVE
空間現代 featuring ECD
虫博士(インセクト・タブー)
ヘア・スタイリスティックス & 渋谷慶一郎
●TALK
飴屋法水×松井周×佐々木敦
「動物化した社会、演劇化する世界」
宇多丸(佐々木士郎)×佐々木中×佐々木敦
「第一回佐々木サミット」
菊地成孔×佐々木敦
「ゼロ年代!からテン年代?へ」
●DJ&skype:アラザル
●FOOD:ドロ沼カレー
●DECO:嫁入りランド
※開場時間にご注意下さい。
※当日券のみ。事前予約、前売券の販売はありません。
※混雑状況によっては入場を制限させていただく場合がございます。予めご了承ください。
※タイムテーブル等のお問い合わせはご遠慮ください。
by dhmo-dhmo | 2009-12-29 07:34 | 療養
2010年、1月
1、「一一一一」、福永信(すばる)
2、「七緒のために」、島本理生(群像)
3、「下戸の超然」、絲山秋子(新潮)
4、「監獄のバラード」、池澤夏樹(新潮)
5、「ファウルボール」、藤野千夜(群像)
6、「小鳥」、川上弘美(群像)
7、「スクナヒコナ」、玄侑宗久(文學界)
8、「月の光が明るい夜」、村田喜代子(文學界)
9、「欄外の船」、堀江敏幸(新潮)
10、「うちの娘」、青山七恵(新潮)


・福永信「一一一一」、悔しいけれど面白い。禅問答を思わせる終わりの見えない堂々巡りの会話は、ある瞬間から「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにおけるタモリと客のあの一連のヤリトリを思わせる。会話相手という主体性は会話が続くほどに希薄になり、多様な質問に対して自動的に返答されるその機械っぷりは、「笑っていいとも!」においてはタモリのツッコミを合図に終わりをむかえるが、「一一一一」ではタモリのツッコミなどありえない。そんな優しさのない物語。
一貫して受け手にまわる男の主体は二転三転するが、そこに不気味さや悲痛さを感じさせず、むしろ物語全体に漂うユーモラスなバイヴスは本当にサイコー。けれど二箇所、どうしても解せない箇所があるのだけれど、これはなんだろうか。繰り返し読んだわけではないので、ケアレスミスのように思える。物語中、繰り返される会話のピリオドとなるのか、あるいは何かの契機の楔を打ち付けているのか。再び読んでみるべきか…。


・島本理生「七緒のために」、絲山秋子「下戸の超然」は、僕には同じモチーフを描いているように読めて、それはありていに言ってしまえば共感の読みの否定と感じられた。共感の読みでも共感の否定の読みであっても「共感」という厄介なものが関わってしまった時点で、個人の経験に基づく、極めて個人的な価値観による作品の受容となり、だから今回僕が共感の読みの否定とこのふたつの作品を読んだとしても、それは僕の経験のうえにある作品の受け取り方に過ぎないのだけれど、しかし「共感」という単語を出したのは僕自身に他ならず、これはタマゴとニワトリのパラドクスじみた円環に陥ってしまい…、というのはとりあえず置いておく。
同じモチーフを描いているけれど、やはり圧倒的に上手くて読ませるのは絲山さんの方だ。「下戸」の男を描いた物語は豊かな想像力に溢れていて「下戸」の男の苦悩は全く理解できないけれども、読んでしまう。タイトルも素晴らしいし。
「下戸の超然」の方が物語の完成度(というものがあるとは一概には言えないけれど便宜的に使わせてもうら)が高いけれど、もう本当に救いがないほどに気持ちの悪い少女小説である島本理生「七緒のために」に、僕はどうしようもなく強い魅力を感じる。島本さんの小説は以前に何作かは読んだことがあったけれど、このような凄みというのは感じたことはなかったので、嬉しい驚きでした。「未知との遭遇」というキーワードが近頃、耳にすることが多くなってきているけれど、僕にとってはこの物語に登場するふたりの少女はまさに「未知」に他ならないし、この物語のモチーフを共感の「読み」の否定と先ほど書いてしまったが、あるいは共感の否定、「未知」のものと対峙した際の軋轢、などもここには含まれるのかもしれない。
あとこれは別に非難しているわけではなくて、ふとした疑問が浮かんだから書いておくけれど、「七緒のために」本文中に以下のような表現がある。

壊れたレコードのように同じところに戻ってしまう七緒に、私はひたすら、責めてない、とくり返したけれど、まるで拒絶するように首を横に振るだけだった。

とあって、ここで僕が気になるのは「壊れたレコードのように同じところにもどってしまう」のところなんだけれど、別にこれは奇抜な表現でもないし、むしろクリシェとして馴染みのある表現であるとも思う。けれど島本さんの年齢でそれほど「壊れたレコード」に触れる機会ってあったんだろうか。いやそれこそクリシェなんだから、そんなことは別にいいんだけれど。僕はたまたまDJとかもしててプレスミスで針が飛んじゃう盤とかも時々あって、ウェブのレコード屋さんとかの注意書きに「Shure M44Gだと音が飛んじゃいます」とかって見ることもあることはある。けれどそれが生きた表現として「壊れたレコードのように〜」って馴染んだりはしてはいない。むろん、島本さんが壊れたレコードコレクターである可能性ももちろんあるわけだけれども。まぁ別にこの表現を用いたからといって、作品の面白さが損なわれることはまったくないのだから別にいいか。
それで本当だったらベスト10から外れているのだけれど、島本さんつながりで、10に入れておいた青山七恵「うちの娘」。青山さんは83年生まれの女性作家さんたちのなかにあって、ベクトルはそれぞれ異なるものの、同じように才能をもった作家さんですが、「うちの娘」は本当に良くなかったです。
僕は、経験したものしか書けない、という考えはひと欠片ももっていない。青山さんには青山さんなりの中年女性を興味深く描けると思っているけれど、「うちの娘」においては中途半端な現実への擦り寄りというか、想像力を働かせていないというか、思考停止してしまったかのような中年女性造形にびっくりしてしまいました。
青山さんは『群像』で連載も始まり、どのような才能豊かな作家さんにも時間は平等にしか与えてられていないので、多忙や何かの拍子で良くない小説を書いてしまうこともあるのでしょう。青山さんの連載に期待してます。

・神社で初めてのキスしました、あるいはエッチしましたとか、なんでわざわざ神社でするんだよ、という疑問が僕にはとてもあるんだけれど、玄侑宗久さん「スクナヒコナ」はそんな話です。いやいやこんなところで性に目覚めちゃいます? 神社の関係者に不謹慎でしょー、とか思ったけれど、、玄侑宗久さんは調べたところ僧侶をやられているんですね。ということはない話ではないのかな。けれど寺院じゃなくて神社が舞台だったから、信憑性があるかわからない。
村田喜代子さんの「月の光が明るい夜」は老人が若い頃の武勇伝を話しているところが可愛くて、8位に。けれど、大学生の女性主人公は薄っぺらいです。現在と過去の恋愛観、セックス観、そこから切り離すことができない生活観が書かれていると思うけれど、女性主人公が持つそれらの価値観があまりに深みがない。もちろん自らの価値観の浅薄さを、祖父の若かりし頃の経験談を聞くことによってアップデイトされる過程を書こうとしているんだろうけど、伝わりにくい。

・『文學界』の短編に見られた、老人押しはなんだったのだろうか。高齢化社会にむけての方針のようなものだったのか。
by dhmo-dhmo | 2009-12-23 14:41 |
アラザルvol.3、一般販売開始
アラザルvol.3
が、ヘッドホンにて通販開始です。
みなさま、ぜひよろしくお願い致します。

また、通販開始にともなって(なのか?)
ミュージシャンの蓮沼執太さん、快快の藤谷香子さん、南波一海さんのやっていらっしゃる
ポッドキャスト、ウィンド&ウィンドウズ
アラザルメンバーを招いてくださりました。

僕も少し喋っておりますが、それはさておき
他のみなさまのお話は実に興味深い内容となっておりますので、
ぜひぜひご登録の上、
聞いてくださればと思います。
(僕は怖くて聞けません…)

それと、
僕がポッドキャスト中に、やたら論理学といっていますが、
あくまでも劣化したパロディに過ぎず、
論理学自体は非常に知的好奇心をかき立てる素晴らしい学問です。

真剣に論理学を研究、勉強している方に不愉快な思いをさせてしまったらと思い、
追記しておきます。
by dhmo-dhmo | 2009-12-22 14:23 |
近況
・会社へと向かうために使う駅の途中の、何度店が変わっても潰れてしまうテナントに、また新しい店が入った。お店の名前は「おしゃれ共和国」。おしゃれ貴族など要らないという表明と受け取る。ちなみにクリーニング屋さんです。

・暖かい休日。窓際でひなたぼっこをしながらタバコを吸う。窓の下に見える細い道を、元気そうな小学生の男の子たち四人が楽しそうに自転車を漕いでいる。その中のひとりの少年が、残りの少年たちに叫ぶ。「おれたちからおんがくをとったらなにがのこるんだよー」。
暖かく、素晴らしい休日。
by dhmo-dhmo | 2009-12-16 15:09 | 療養
アラザル3だよ!!!《続報》
いよいよ一週間後に発売となる「アラザル3」についての続報です!
というか、発売日さえもきちんと告知してなかったことにいま気付きましたすみません…
表紙画像とともに詳細をどーぞ!!!





アラザル3
2009年12月6日、第九回文学フリマS-16<批評誌「アラザル」>ブースにて販売
税込1000円



contents

★論考11本(下記参照)

★一柳慧インタビュー

わが国の現代音楽の最重要人物である一柳慧氏の歩みとその音楽の思想を、六時間の43,000字強の超ロング・インタビューで辿る。これは戦後日本音楽史をひも解く貴重な証言であるばかりでなく、戦後のカルチャー史を検証するための第一級の資料となるはず。

★佐々木敦インタビュー

恒例の“SA”インタビュー。今回は、『ニッポンの思想』が読書界に与えたさまざまな影響や、同書に登場する批評家から、著者へと寄せられた批判&意見についての応答を根掘り葉掘りうかがいつつ、2010年刊行予定の『未知との遭遇』へ至る思考、そしてオルタナティブな批評のあり方などなど、広範にインタビューしました。正直、かーなりぶっちゃけた内容となっているので、これが世に出ると思うとDoKiDoKiが止まりませんっ☆

★分解批評~映画『サマーウォーズ』/舞台『生きてるものはいないのか』『生きてるものか』

アラザル発の全員参加型批評企画。ゲーム的批評方法とでも言いましょうか、内容はぜひお手にとってお確かめください! なお、この企画の出張版が、12月発売予定の第二期『エクス・ポ』にも掲載されます。

★スカイプdeディベート批評

1つのテーマに沿って批判・肯定派が論戦する「ディベート」ってありますよね。あれをスカイプ上でやりました。テーマはソフィア・コッポラから三島由紀夫や性愛問題まで、相変わらずカオスです☆

★NRK~日本語ヒップホップ研究所

およそB-BOYとはかけ離れたサブカルっ子風情にも関わらず、実は日本語ヒップホップ通の多いアラザル男子たち。そんな彼らがメガネをマイクに持ち替えてハスリング! YO! いとうせいこうから最新のアンダーグラウンド・ヒップホップまで、オールナイトで語りつくしたドキュメント。いま、文科系男子がストリートと鮮やかに交差する…!!



と、今号も盛りだくさんのコンテンツ。
そして、ついにページ数も440頁に達するという恐ろしい事態に…。
この高コスト体質、どうにかならんものか…。
でも、お値段は据え置きの税込1000円なので、よろしくお願いします!

さらに、今回も文フリ限定オマケつけます!
詳細は<続報2>でキラッ☆


文責/にしなか
by dhmo-dhmo | 2009-12-01 02:05 |
アラザル3だよ!!!

さてさて、ついにアラザル第3号、発売間近になってきました!!


そこで今回は第3号所収論考についてのレビューをお届けします!

今回もアラザルらしくバラエティに富んでいます。

そして今回新たに、板東、細間、阪根という俊英も加わり、

十一本の批評がひしめいております。




では、早速レビューgo!!




● 起筆と意味

アラザル初登場・板東の文は、まっさらな新雪を繊細かつ慎重に一歩一歩踏みしめていくような感触だ。あくまでものごとに対して新鮮・鋭敏な感覚でひとつひとつしっくりするまで味わいこんでいるのだ。その緻密な感覚で描写された華雪の「書」やタブッキの小説などが現前するさまは、まさに驚異というしかない。彼女のデザイン的美意識、そして「字」に対する徹底したこだわりというものが遺憾なく発揮されている、まさにアラザルの巻頭を飾るに相応しい視覚的新感覚クリティーク!!



● 『彼岸過ぎまでのラップ SEEDAのヘルズ・キッチンと、天国の門』 山下望

ある意味最もアラザル的な、そして最も異端児でもある山下望が、またも奇想天外な組み合わせで送り出す大胆な説による「トンデモヒップホップ批評」!?「反復」するポテンシャルとは??日本語ラップの異端児・SEEDAの新感覚と明治の黒船到来を繋ぎ合わせようという、その強引なまでの論評はいつものとおり賛否両論の嵐になりそうだが、自分で創ってしまった限りなく困難な課題を珍しくマジメに(?)正面から受け止めて論じ切ったのにはビックリだ。山下の野生のひらめきと、日本近代文学のクリティークがリミックスされた、限りなくカオスで真っ黒な正統的異色評論。



● ☆★☆may fXXkin’ fXXkin’ fXXkin’ die☆★☆       dhmo

これを批評じゃなくてなんといおう!柳原可奈子も真っ青の女子高生の会話かぁ、などとタカをくくっちゃあいけない。ひたすら続く「終わりなき日常」のまったりなんてするはずもない暴走会話がリピートし、カットアップされ、地獄のような朝の教室風景がひたすら高速度なまま抉り出される。いやおうなしに畳み掛けられる取り留めのない会話は、人間存在を限りなく無化し、あたかもポップコーンかキャンベルスープ缶のようにしちゃうんだ。もう一度云おう、これはれっきとしたスキゾな脱構築POP批評なんですよ。




● 『放浪記』を語る前に考えること  畑中宇惟  

畑中宇惟の視点は、単刀直入に鋭く切り込んでくる。今回の論評でも、「作品」という事についての根源的な問いを、いやおうなしに突き付ける。林芙美子の名が売れる以前の私的な日記を赤裸々にそのまま出版したような『放浪記』、そして実は意識的に絵を「仕事」として描いていた節がある山下清。一見対極だが、畑中は彼らの共通性として「作者の私性が作品の評価の邪魔をしている」と見抜く。これは、ロラン・バルトが云うような、「作者の死」で片付けられてしまうものなのか。それとも・・・もっと「先」が読みたくなる文だ。




● 大友良英、その演奏と聴取の諸相  杉森大輔 

杉森大輔が贈る、知的に洗練された定評ある正統派クリティーク、第三弾!!今回論じるのは、限りなく多角的な音楽的実験を試みることによって厖大な音楽的地平を切り拓き続けている大友良英。その足跡と可能性の中心を探っていくことで見えてくるものは?その問いは、「我々を取り囲んでいる世界は無限に豊かで多様である。その世界と、私たちそれぞれが、いかにして出会うことができるのか。」という根本問題まで掘り下げられてゆく。杉森の文体自体は流麗だが、現されているものは実にエキセントリックなものだ。



● 独白in批評
   ~『1Q84』≠鴻池神話・<種明かし>からの省察~ 山本浩生


山本浩生は語る。そして、語るとは総て、語りなおしのことである。山本は、村上春樹の『1Q84』と鴻池朋子を語りなおす。しかし、語りなおすとは、既存の語りをなぞってゆくということではない。語りなおしで最初の語りは変容を被り、その変容は語りなおされつつある語りへと還流し、その語りを不断に顛倒させ、迷宮に誘い込み、酒瓶さえ空っぽにしてしまう。しかし、それでも山本は巨石に追われるインディ・ジョーンズの如く語りを語りなおし続ける。追跡と迷走の果てに立ち上がってくる、『1Q84』と現代日本美術を結ぶ、「システム」とは、「がっかり」とは、何か!?



● 装いについてのノート 

本来は裸でいいものを、衣服を着るということはどういうことか?という問いに始まり、ストリートスナップのブログモデル、そして役者・上野樹里を論じ、最後には犬童一心「メゾン・ド・ヒミコ」で、ゲイの青年に扮すオダギリ ジョーまでを語る。衣服に支配され、衣服を凌駕し、雰囲気を身体がのみこむ。「まとう」ということは衣装だけではなく、「なにか別の人間」をまとうこともあり、「雰囲気」をもまとう。細間の文体は、うまれたばかりの赤ん坊の肌のようなきめこまかい「ひらがな」のまろやかな魅力を存分にまとっているのだった。



●一柳慧のいる透視図―ニッポンの批評へ(連載第2回)   西田博至 

アラザル西の巨星・西田博至の宇宙的グランドオペラ批評連載・第二回目!!実は今回の文章、まだまだ広大な西田・一柳新歴史観構築のための序章に過ぎぬのだが、既に、エベレストを突き抜ける程の圧倒的な大伽藍批評の片鱗が見え始めて居る。今回西田は、一柳慧と云う人物と繫がる巨大な歴史の源流を今一度探る可く、東京に降り立つた。そして彼は、「こんなにも」孤独な淋しさを湛えた、或る歴史的建造物の前に立ち尽くす。嗚呼、此れがほんとうの「廃墟」と云われるものなのだらうか・・・彼の源流を探る旅は、本格的に幕を開けた!!



●現代小説解読講義:柴崎友香『その街の今は』 阪根正行 

アラザルに鮮烈なインパクトで入団した阪根正行、渾身の第一作!!いやしかし、新人離れした明晰かつ爽やかな講義は見事です。柴崎の小説を基に「昔と今」「戦前と戦後」などという既成事実の対立事項を徹底的に再検証。さらには、柴崎が専攻していた地理学を鑑み、<場>についての考察。柴崎の文だけでなく、今和次郎、オギュスタン・ベルク、夏目漱石、果てはプラトンまで縦横無尽に援用し分析する。究めつけは超豪華なメンバーによる豊富な写真図版で、いっそうの説得力と重みを加えている。これは一本とられました!阪根、新人王か??



● 我々の密室犯罪における一つまたは二つの考察 西中賢治

深夜、真っ暗闇の中、既に放送が終わってしまったテレビを付けていると、突然その光に呑みこまれて窒息してしまいそうな感覚がある。そこには何も映っていないのに光っている/「目的や意味からますます遊離して不気味に歪む」それは、日々人間を馴化させ、空虚に翻弄させ、虚構の妄想とイメージに現実を凌駕させている、その本体だ。泉太郎の作品は「それ」を宙吊りにし、暴き出し続ける。西中賢治は、日々の激務の果て、或る意味現実より虚構に生きる自分を発見し、泉の作品に救いを求めたのか。モダンの灰燼からネオモダニズムの蠢きが、一筋の光明がみえたのか。



● 閨房の手ぐし~杉浦日向子の百物語をよむ~ 黒川直樹

妖気漂う雰囲気を纏ったアラザルきっての長髪・黒川直樹がおどろおどろしく、執拗に、ゲリラ的に、断片的に、アラユル方向から、杉浦日向子を模索し、杉浦日向子と対峙し、杉浦日向子と格闘しながら、いや、百物語と格闘しながら、じぶんで百物語を紡ぎ、ほんとうに百まで語った、と思いきや、百物語は九十九話であり、残り一話はどうしたことか欠けており、黒川の百物語を読めば其の答えが書いてあるのかも知れず、やたらと興味をそそられる文章であり、妖気漂う黒川が妖気を相手にした百物語と対峙した、黒川の、百物語、日向子の。





レビュー文提供:山本浩生/西田博至(山本レビュー)
by dhmo-dhmo | 2009-12-01 02:03 |